静月流煎茶道

茶道というと抹茶の流儀を思い浮かべるかたが多いのですが、煎茶の流儀も江戸初期以来、さまざまな流派が生れて現在に至っています。

大和遠州流が煎茶のたしなみに目を向けたのは、北海道に渡った蓼沼紫英がまだ18代家元を襲名する前のことでした。紫英は、地域の人々の日常の中でお茶を楽しみ、味わってもらいたいという、まさに遠州流の理念をひき、抹茶の流儀を尊重しつつ、これに対応させながら大正5年(1915年)に独自の煎茶道を創始し、これを「静月流」と命名しました。

やがて紫英が家元を襲名して以来、当流は、抹茶の「大和遠州流」と煎茶の「静月流」を2本の柱とし、これを「静月会」という名称で統括しています。

抹茶と煎茶それぞれに免許の段階があり、両方を学びかつ教える会員と、片方だけの会員とがあって、その選択は本人に委ねられています。

野点など、会員外の方が多く参加される催しでも両方を提供して、皆様に両方のお茶を味わっていただいています。